今月の言葉

今月の言葉2025年4月「新たな出会い よき縁に」

2025年4月:「新たな出会い よき縁に」

 人生は縁であり、縁に始まり縁によって終わると言います。会いたい縁もあれば、会いたくない縁もあります。家族や知人、かけがえのない友人に出会えたというのは会いたい縁として頂戴出来ますが、病気や怪我、事故というのは遭いたくない縁です。しかし生きている限りは様々な御縁を頂戴していかねばなりません。

 「縁は異なもの味なもの」、「袖触り合うも多生の縁」と縁にまつわる諺が色々とあります。「多生」とは仏教語で、生まれ変わり死に変わり、何度も何度も生まれ変わり死に変わりしてという意味で、前世からの縁という事です。前の世からの縁として「宿縁(しゅくえん)」という言葉があります。宿とは以前からのという意味です。ですから「宿縁」とは前の世からの御縁です。サッと袖が触れ合っただけというのも前の世からの縁。また一樹の陰に宿るも、一河の水、河の水を汲ませて戴くのも縁です。夏の暑い日に一本の樹の下の陰で休ませていただくのも、或いは又、河の水を掬い取って飲ませていただくのも全て縁であると言われます。

鳥が選んだ枝 枝が待っていた鳥

 これは河井寛次郎という陶芸家さんの言葉です。一羽の鳥が一本の枝を選んで留まり木として留まる。或いは巣を作る為に一本の枝を啄んでいく。それは自然な成り行きかもしれないけれど、この選ばれた枝自身もこの一羽の鳥を待っていたとしたらどうでしょうか。そこには不思議な御縁があるのではないでしょうか。河井寛次郎さんは陶芸家ですから、御茶碗や御皿の材料となる先ずはその土選びから始まります。その土との出会いに、何か目には見えない不思議な縁を感じて、縁が縁を呼んで結果として素晴らしい作品が出来上がってくるのです。そういう気持ちでこの言葉を遺されたのではないかと思います。

 生きている限りは色んな御縁を頂戴致します。自分にとって良い縁もあれば、そうでない縁もあるものです。事故などは非業(ひごう)の縁として、本来受けるべき縁では無かったとも言われます。しかし今の自分に必要な縁だったと受け取らせていただくのも心の持ち方の一つです。結果として良き縁であったと頂戴出来たならば、豊かな心を育てさせていただけるものです。四月は入学式や入社式など新たな出会いがある節目の季節です。時として思い悩む様な縁もあるでしょうが、全て良き縁であると頂戴して心穏やかに過ごさせていただきましょう。

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