今月の言葉

2025年10月:「曇り夜も月は輝いている」

2025年10月:「曇り夜も月は輝いている」

月(つき)かげの いたらぬ里(さと)は なけれども ながむる人(ひと)の 心(こころ)にぞすむ

 これは法然(ほうねん)上人の詠(よ)まれた「月かげ」の御詠歌(ごえいか)です。月の光は全ての者を照らし、村里に住む人々に隈無(くまな)く降り注いでいるけれども、月を眺める人にだけその月の美しさは分かるものです。阿弥陀様の御慈悲(じひ)も、全ての人々に注がれているけれども、手を合わせて「南無阿弥陀佛」とお念仏を称(とな)える人のみが阿弥陀様の御救いを蒙(こうむ)る事が出来るという意味です。「月かげ」は、お経の一節「光明(こうみょう)遍照(へんじょう) 十方(じっぽう)世界(せかい) 念仏(ねんぶつ)衆生(しゅじょう) 摂取(せっしゅ)不捨(ふしゃ)」の御心をお示しくださった御歌です。仏様の光明は、遍(あまね)く十方の世界をお照らし下さり、念仏を称える衆生(しゅじょう)(私たち)を救い取って捨て去る事がないというのが、そのお経の意味であり、その譬(たと)えが「月かげ」の御詠歌になります。月は雲に隠(かく)れてしまう時もありますが、曇り夜であっても月は輝いています。阿弥陀様も眼前(がんぜん)に見えなくとも、いつでも念仏申す者を見護(みまも)ってくださっているのです。

 昔、京の都、徳大寺(とくだいじ)に唯蓮房(ゆいれんぼう)という僧侶が住んで居られました。唯蓮房はお経に説かれる阿弥陀様のお救い、「摂取(せっしゅ)」について「一体どの様なお救いであろうか」と疑問に思われました。そこで雲居寺(うんごじ)というお寺に参籠(さんろう)され、「摂取の意味を教えていただきたい」と御本尊の阿弥陀様の御前に於いて七日間の不断念仏(ふだんねんぶつ)を修めていかれました。休むことなくお念仏を申していく修行です。すると七日目の満願(まんがん)の夜の夢の中に阿弥陀様が現れ、唯蓮房の手を握りしめ、「摂取是(これ)なり」と示されました。その後、唯蓮房は高野の念仏聖(ねんぶつひじり)と言われていた明遍(みょうへん)僧都(そうず)を訪ねられ、夢の虚実(きょじつ)を尋ねたところ、明遍僧都は「私にも同じ様な事が御座いました。正夢でありましょう」と共に手を取り喜ばれたそうです。(『選択(せんちゃく)伝(でん)弘決(ぐけつ)疑鈔(ぎしょう)』良忠(りょうちゅう)上人著)  阿弥陀様は、御慈悲の御光(みひかり)をいつでも、どこでも、どこまでもお照らしくださっており、常に私たちを見護(みまも)ってくださっています。そしてお念仏をお称えしたならば、どの様な生き方をした人間であろうとも臨終にはその者の手をしっかりと握りしめ、西方極楽浄土(せいほうごくらくじょうど)に救い取ってくださるのです。その有難(ありがた)さを共々に喜び、日々(ひび)お念仏申して参りましょう。

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